岩井克人「欲望の貨幣論」を語る
ニュースとかで見かけるこんな記事↓
高騰し、投資よりも投機的な動きが多いのが確かに懸念点ではあるけれど、日本のメディアの報道はインパクト重視だから、単発的な内容だけが表に出ます。
貨幣とは何か、ビットコインは貨幣となれるのか。
今日、紹介するのは
です。
この本は、貨幣、人間の欲望、そして、それを取り巻く資本主義について、とても分かりやすく書かれた本です。
その中でも、第1章を取り上げます。
◆「ビットコイン」は究極の貨幣か
冒頭での問いかけに対して、結論から言いまして、ビットコインは貨幣とはなりえません。順々に見ていきたいと思います。
【貨幣商品説の否定】
まず、貨幣は
人間を匿名(自由)にする一方で、不平等をうみだす
ものです。
1,000円を持ったわたしも他の人も、同じ1,000円のものを購入できますが、所得・資産格差は生み出していくのが現実です
そもそも、ビットコインとは何かという問いに対するキーワードは次に記載するようなものだと思います。
〇ナカモト・サトシ
〇ブロックチェーンによる二重払い監視
〇仮想通貨
これらのキーワードを見ていくとビットコインの誕生と、何が新しいのかが見えてきて、ブロックチェーンという技術のみがその新しいということが理解できると思います。
ビットコインが貨幣にならない理由を知るためには、「貨幣商品説」の誤りを知ることが大切かなあと。
多くの人が欲しがる価値のあるものだから、金銀がおカネになったという「貨幣商品説」ですが、例えば、
10,000円の価値がある金銀で、500円の価値しかない物品を購入したいとは思わないですね。つまり、
おカネのおカネとしての価値 > おカネのモノとしての価値
が成り立たなくては貨幣としては成り立ちません。
では、おカネの価値とは何か
ちなみに、「昔は物々交換があって云々…」みたいな話は現代の経済学では否定されています。昨年2020年に亡くなってしまった人類学者デヴィット・グレーバーさんも物々交換を、「起きていなかった」と否定しています。
【貨幣の価値は何が決める?貨幣法制説の否定】
マリア・テレジア銀貨:オーストリアの女帝マリア・テレジアの肖像が刻印された銀貨
マリー・アントワネットの母に当たるのがマリア・テレジアです。
彼女が作った銀貨ですので、まさに権威に裏打ちされた銀貨であり、「貨幣法制説」の表れのような気がします。
しかし、マリア・テレジアがなくなった後、すなわちその権威がなくなった後でも、この銀貨は流通し続けました。1741年に作られ、1970年代まで使われています。
権威がなくても、貨幣は流通する。つまり、国家・君主の権力は関係がないということとなり、「貨幣法制説」も否定されます。
結論を述べると、貨幣の価値は社会が与えることになります。
500円玉が500円玉になりうるのは、「ほかの人」がそれを受け取ってくれるからです。
「貨幣とは貨幣であるから貨幣である。」という呪文みたいな「自己循環論法」が成り立ちます。
【ビットコインはなぜ貨幣になれないのか】
〇多くの人がビットコインを使い始め、「自己循環論法」が成り立つかのように思われた
×しかし、多くの人が冬季商品としてビットコインを利用し始めた
したがって、未来にビットコインの価値が上がることを見越して、商品を購入することとなるため、
おカネのおカネとしての価値(現在のビットコインの価値) > おカネのモノとしての価値(未来のビットコインの価値)
が成り立たないこととなります。したがって、ビットコインを売買したほうが利益が大きいので、貨幣として利用する人はいなくなります。
以上が、ビットコインが貨幣になれない理由の説明になります。
次は「質問力」についてまとめようかなあと思います(/・ω・)/
ありがとうございました。