グローバリズムという病
右肩上がりの時代に登場した、国民国家と株式会社の賞味期限が近づいてきていることについて、知恵をくれた本。
2014年に書かれた本ですが良本です。
『グローバル○○って、いい加減うんざりしませんか?』ってキャッチフレーズが強烈。。
平川 克美【グローバリズムという病】
※画像引用元:amazon.co.jp 公式
◆「グローバル」という言葉に込められた野望
英語くらいできないと。
これからはITの時代だ。
取り立てて世界が国境を越えて商売をしていたいのは当然のことで、大航海時代から変わっていないもの。
いまなぜ「グローバル時代」がもてはやされるのか。平成16年の『年次経済財政報告書』に書かれた、グローバル化に乗り遅れてはいけないという内容が、世界の潮流(脱国家、超国家、多国籍企業)に乗り遅れたら淘汰されるって考えを象徴している。
産業革命からずっとグローバル化の方向に向かっているのにも関わらず、最近になって強調されているのはなぜなのだろう。
◆グローバル人材論はねじ曲がったローカリティの表出
『夏目漱石の文章が理解できる外国人とか、ローカルな環境の中での苦悩を理解できる人は普遍的な人間である。』
この文脈だけだとわからない。。
⇒ グローバルな《文化商品》とは本当の意味で言葉を必要としないもの。
確かに、語らずとも伝わるものってことですね。
◆株式会社 v.s. 国民国家
株式会社は投下した資本が増加して戻ってくるという社会状況を前提。
日本で問題とされている人口減少は文明移行期に必然的に起こる現象であり、「家」が崩壊し、「将来に対する不安」が出生率を引き下げている。
単純に、自分の年齢と親の年齢と生まれてくる子供の年齢を鑑みて、親の介護年齢が始まるときに、自分の子供が一番お金のかかる学生時代を過ごしている計算になるから、なかなか厳しいところがあるなあって。
株式会社は世界の中に「右肩上がり」の「未開拓地」を探す。これがグローバリズムへの原動力になる。
国民経済が飽和して、総中流国家になると市場は活力を失い、株式会社は国家という枠組みを乗り越えていこうとする。国家の中で生まれたはずなのに。。
ちなみに、総中流社会については、現代の日本には当てはまらないかなと。
『下流老人 一億総老後崩壊の衝撃』
※画像引用元:amazon.co.jp 公式
この本を読んで、徐々に自分の生活水準が下がっていることに気づくかなあ、、。日本っていう島国の状況も俯瞰的に見えてくる勉強になるのかなって(^^;)
平川克己さんの本は、家族形態と会社というものの文化がかなり相関していることと、そこに入り込む現代のグローバリズムについて軽快に書かれていて、すらすら読める本でした(*'ω'*)